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地震の直後、津波が来る前の静けさの中6mの警報から10mの警報に変わりスタッフは、筆者を除きすべて山へ急ぎました。 |
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第一波でOKだった構内ですが、第二波は、6mの津波なら大丈夫な工場事務所内でも1mに達し構内のボートは、めちゃくちゃになり近所の 車や船も交じっていました。 |
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第二波が引いた後でも塩釜港奥の防潮堤を超えていた津波です。対面のマリンゲート塩釜一階もめちゃくちゃでした。フェンスのゴミは、掃除 ふとどきではなく津波によるものです。 |
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ボート5隻係留のまま隣更地へ流れた30mのポンツーン、街中奥へ行かずホッとしました。 |
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マリーナ周辺は、地盤が低くほとんどが一階天井付近まで達していたようです。最大波は、画像の水位より1m以上です。 |
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マリーナ北側の国道45号とJR仙石線、画像の中央奥にあるボートは、マリーナから流れたFR23EXですが擦り傷少々でした。 |
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マリーナのメインポンツーンは、杭から外れ3m湾内側へ移動しました。難題は、杭にアンカーローラーが食い込み引っかかったFR32でした。 |
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吹雪が突然やんで夕日がさしこんだ時です。この後また吹雪そして暗闇がおとずれました。暗闇の中、引き波で立ってしまい浸水し始めた FR32を戻す作業に必死でした。岸壁を超える波が何度か来るうちに船尾を他のディーゼルシャフトボートのフルスロットルで曳きバウローラー を壊し無事に着水させました。大きな感動の一瞬でした。 |
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翌日、自宅本社のマリーナへ行ってみると惨憺たる状況でした。PBSのボートも自宅前のボートも全くなく、重油汚泥津波が継続し悪臭もきつ く、ボートが多数漂っていても、がれきが多くレスキュー不可でした。 |
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強い流れが継続し、更に近くの石油基地からは、炎と黒煙が上がり悪夢のようでした。 |
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本店自宅前の汚泥と誰かのボート、係留ボートとポンツーンは、きれいさっぱり無でした。 |
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北浜マリンベースデッキルーム 今は整然としています。シャワーもOKです。損壊扉は、近々復旧予定です。 |
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研修室 仮修理でドアーや窓を復旧しています。今はきれいです。 |
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設備機器の中で最初に始めた揚降ウインチのオーバーホール、メガテストOKで心配なベアリングを交換し復旧させました。工場や事務所の 砂泥は、まだ少しありますが、10日までにはきれいになる予定です。 |
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3日目から多くのボートを曳航し集めました。このSF31は、船尾破損浸水、13m径のがれきとともに漂流し何度も外洋へ出てしまいました が、大きなアンカーで固定し潜水作業体制でシャフト舵まわりのロープ類を切断し縁切りし曳航しました。 |
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陸のがれきに上がったボートや半沈や転覆、乗揚げ、堤防上などのボートの回収がまだまだ続きます。 |
昨年2月28日のチリ津波では、海が落ち着くのに一か月から三か月を要しました。 |
潜水具無のシャフト艇の不要な航海は、数か月は避けるべきと考えています。午後の遅い時間や夜間は絶対ダメです。 |
湾内には、海面には見えないアンカー付のロープが多数あります。無事に航海できない確率が高い状況がしばらくは継続します。 |
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